個人のストーリー
鬱と恥から解放され、現在は結婚して祝福されている
私はクリスチャンとして育てられ、1985年にキリストを受け入れました。私が通ったほとんどのキリスト教会では、いつも律法と恵みが混じり合った教理が教えられ、私自身は信仰の生ぬるいクリスチャンでした。父親は女たらしで、結果的に母親が苦しむ様子を見ながら成長しました。その経験と父の愛の欠如が原因で、私は誤った信念を持ち、正しい愛され方を理解しないまま、ある男性に心を許しました。
不安、心臓動悸、不眠症がなくなった
私は警察官で、自分の管轄内で多くの死と痛みを見てきました。ある日、全てのことが自分の上に一度にのしかかってきて、私は不安発作を起こしました。普段からジムで自己防衛訓練をしていますが、不安に襲われると、筋肉や武術は何の役にも立ちませんでした。心臓動悸や暗黒的な思考にも襲われるようになり、夜になると眠ることができませんでした。
キリストにあって人生の意味を見つけた
私はオーストラリアのパースで教会に通っていましたが、その教会に属しているという感覚を真に抱いたことはありませんでした。成長過程において、過去にいじめられた体験や、全寮制の学校へ通っていて両親が側にいなかったこと、また、学業面で寄せられる両親からの高い期待のゆえに、私の人生にはいつも空虚感がありました。
もはや罪と鬱の中を生きることはなく、学位修了のために復学できた
プリンス牧師、私はクリスチャン家庭で育った23歳の大学生です。教会へ通い、クリスチャンの高校を卒業しました。しかしながら、自分で決断した人生の選択のゆえに、私は学業、キャリア、人間関係、霊的成長においてひどい遅れを取ってしまったのです。
誤った信念から自由にされ、夜驚症から解放された
私は、聖書が示す許し難い罪を自分は犯していると思い込んでいました。その結果、神も聖霊も私から遠く離れた存在であると考え、深刻な鬱と不安に陥りました。精神面や感情面で抑圧され、日常的な生活を営むこともできませんでした。
恵みのメッセージを聞き、自殺未遂から守られた
当時の私は、「神は自分に背を向けて去って行ったのだ」と信じるほど大きな絶望と鬱の中にいました。ある夜、私は神に向かって叫び求め、しるしを与えてほしいと願いました。その時、私はまさに自殺を犯す直前の状態にまで追い詰められていたのです。もし神が私のことをこれ以上気にかけてくれないのなら、生きている意味などないと考えたのです。
鬱から自由になった
私は13歳の時にキリストを受け入れ、1年ほど定期的に教会へ通っていましたが、教会のリーダーたちから人々を新たに教会へ誘い、彼らを信仰へ導かなければならないというプレッシャーを毎週のようにかけられ、だんだんとそれに耐えられなくなりました。それにより、私は常に「自分には能力が足りないのだ」と感じるようになったのです。
パニック発作は消え去り、向精神薬への依存から自由になった
12〜13歳の頃から、私はひどいパニック発作と不安発作に悩んでいました。14歳の時、私は麻酔作用のある依存性の強い向精神薬を処方されました。
鬱と自傷行為から解放され、今では恵みについて伝道するように
プリンス牧師、あなたが私の人生にもたらしてくださった祝福ある真理に感謝します。2年前に息子が誕生してから、私は困難を覚えるようになりました。
鬱からの解放
私は13歳で洗礼を受けましたが、結婚するまで教会へは通っていませんでした。夫と出会ってから、私は毎週教会へ通うことに幸福を感じていましたが、毎週礼拝に参加して什一献金を捧げていても、私の心には理解し得ない空虚感がありました。
サッカースクールに入る夢が全額スポンサー付きで実現した
周りの人がこの夢を邪魔したり、自分に疑いを植え付けようとしたことで、私は鬱に陥りました。神を呪ったり、自殺未遂を五回も繰り返したりするほどでした。私は常に情緒不安定になり、姉妹も母をひどく恋しがっていたので、私たちはシンガポールへ戻りました。まさにこれがイエスとの劇的な出会いを引き起こし、鬱からの解放やぜんそくの癒しの始まりとなることを、当時の私は予期していませんでした。